兵庫の磐座


石像寺いしぞうじ
兵庫県丹波市市島町中竹田字岩倉1003-1


■石の霊がたたずんでいるような石像寺磐座

 石像寺の存在は、重森美玲・完途の『日本庭園 史大系』によって知った。大系の「上古・日本庭 園源流」の冒頭に磐座の写真が載っており、白い 巨岩が幾重にも寄り添い、屹立しているさまが印 象に残った。英語で「Iwakura Rocks」と書か れていたことも新鮮な驚きだった。字名の「岩倉」も、 磐座の存在によるものとされるが、『延喜式』には それに関する神社の記載は見当たらない。重森は、 高座神社がそれに該当するのではな いかと推測しているが、『式内社調査報告』では、 久下と青垣に所在する高座神社を有力な論社とし ており、確証はない。
(『磐座百選』より一部抜粋)





伊和神社いわじんじゃ
兵庫県宍粟市一宮町須行名407


■二羽の鶴が北向きに眠っていたという「鶴石」

 伊和大神は、オオクニヌシ(大国主神)や三輪 大神の別名という説があるが、『記・紀』にはい っさい登場しない。三輪山の神々にも、伊和大神 の名はなく、わが国の歴史のなかで『播磨国風土 記』にしかでてこない。広汎な信仰圏をもちなが ら、ヤマト王権はその存在を語らず、いわば、中 央が黙殺した神といえよう。『播磨国風土記』宍禾郡の条に、 石作の里。本の名は伊和なり。土は下の中 なり。石作と名づくる所以は、石作首等 、此の村に居りき。 故、 庚午の年に石作の里と為せり。  とあり、石作の石は、伊和だと記されている。 伊和は「石(いわ) 」に通じるというのだ。
(『磐座百選』より一部抜粋)





五色塚古墳ごしきづかこふん
兵庫県神戸市垂水区五色山4-1-12


■葺石で覆われて再生を夢見た巨大な「石の山」

 五色塚だけではなく、墳丘の斜面がびっしり と葺石で覆われた古墳が数多く存在する。葺石と は、墳丘などに河原石や礫石を敷きつめ、また貼 りつけるように葺いたものをいうが、前期古墳と 中期に多く、後期になると葺石を伴わないものが 大多数をしめ、やがて終末を迎える。
 五色塚は前期末から中期初頭の前方後円墳だが、 なかでも墳丘規模の大きなものに葺石を伴うもの が多い。わが国最大とされる「仁徳陵」や、それ に次ぐ「応神陵」、最古の大型前方後円墳とされ る「箸墓古墳」など、いずれも葺石で覆われてい る。
(『磐座百選』より一部抜粋)





沼島ぬしま
兵庫県南あわじ市沼島


■「天の御柱」だと伝えられる上立(かみたち)

 神岩沼島へは、淡路島の南端に近い土生港から連絡 船がでている。わずか10分の船旅だが、オノゴ ロ島への想いが大きいだけに期待がふくらむ。上 立神岩は、船着き場から20分ほど坂を上った先、 東海岸に屹立している。沼島の人たちは、これを 磐座と見たてて、二柱の神や竜神の祭りをしてき たという。緑泥片岩といわれるとおり、緑がかっ た尖頭形をした巨岩だ。「矛先」のような形とい い、屹立する姿といい、古代から神と崇められ、 天の御柱とされてきたわけがわかるような気がす る。まさに海に浮かぶ磐座そのものではないだろ うか。
 島の西南部、小高い山の上に「おのころ神社」 が鎮座する。その裏手には、沼矛をもつイザナキ とイザナミの石像が立ち、正面には、最初に誕生 した淡路島が横たわっている。
(『磐座百選』より一部抜粋)





元に戻る

copyright©2017:未来へのメッセージ舎;all rights reserved.